熊本県熊本市中央区大江本町7-1に建っている「本村神社 (味噌天神)(もとむらじんじゃ(みそてんじん))」です。熊本市電(路面電車)・味噌天神駅から徒歩約1分。JR新水前寺駅(豊肥線)からなら約6分。玄宅寺からだと15分くらいです(googleマップ経路情報より)
熊本県道28号線(電車通り)に面した場所に建っていました。
お酒専用の神社は見た事がありますが、味噌専用の神社は此処しか無いようです。ただ、境内には味噌を想像させるようなものは無かったような(見落としてるかも)
味噌天神宮は、奈良時代の七一三年(和銅六年)元明天皇の御世に建立されました。
肥後の初代国司、道君首名(みちのきみのおびとな)のとき悪疫が流行して多数の死者が続出し、人々は悩み苦しみました。
そこで国司は疫病平癒祈願のために、現在地に神薬の神として「御祖天神」を祭祀されましたら、まもなく疫病はおさまったと伝えられています。
七四一年(天平十三年)、聖武天皇の勅令により諸国に国分寺が置かれました。肥後国分寺は、現在の熊本市出水町に建てられ、寺の僧侶や信徒は朝夕の食事によく味噌を用いました。その味噌倉は現在地(大江本町)の近くにありました。
ある年に、多量の味噌が腐敗し、困り果てた僧侶達は「御祖 天神」に祈願いたしましたところ、神のお告げに「境内にある小笹を取り味噌桶の中に立てよ」との思し召しであったので、その通りにしてみると不思議にも実に美味な味噌に変わりました。
人々は大喜びし、ますます信仰をたかめ、日本国中唯一の味噌の神として「味噌天神」の愛称で、広く全国に伝えられました。
学説では、天神の御衣を納めた「御衣天神」であろうとされています。
その後平安時代になってから、学問の神・菅原道真公も、祭神として合祀されました。
一九四五年(昭和二十年)七月一日、熊本大空襲で戦災に遭い当宮は全焼しましたが、一九五七年(昭和三十二年)六月に再建されて今日に至っております。
十月二十五日が例祭日となっています。
境内の案内板より
社殿の右側の道を渡った所に喫茶店があり、そちらで御朱印を頂く事が出来たはずで、拝殿前にも案内が出てたのですが、喫茶店の前まで行くと「令和6年5月9日をもって閉店」との張り紙(訪問日:令和6年5月22日。2週間遅かった(;_;) ) かなりの高齢の方という事だったので、早く行かねばと思っていたのですが、2週間間に合いませんでした。お住まいは直ぐ近くらしいけど、引退された方のお宅を訪問するのも気が引けるので、諦めました。
Φ ポケストップがあります・・・・ 味噌天神公民館
Å ポケモン・ジムがあります・・・味噌天神宮 鳥居