山口県山口市維新公園6に建っている「出雲大社山口分院(いずもおおやしろやまぐちぶんいん)」です。JR矢原駅から徒歩約26分。赤田神社からだと35分位です。(googleマップ経路情報より)
JR矢原駅から龍蔵寺に行く途中に近くを通りますが、矢原駅から行くと朝早すぎたので、ちょっと大回りになりますが、この順番になりました。JR矢原駅からは、もう1社徒歩10分以内にあったのですが、全くの逆方向なので、今回は諦めました。
出雲大社山口分院の周辺は道が入り組んでいる事もあり、実際に赤田神社からは、40分位掛かりました。
御鎮祭: 明治15年
御神徳:
大国主大神を国中第1の霊神と仰いでいるのは、 終国治幽、博愛慈育の神業を大成され、生きとし生けるものが、しあわせになるように働きをうけて、正しく立ち栄えるように、くにつくりに努められたためである。
大神は広大なる御神徳に相應しく、従って御神名も20指にあまり、特に親しみをもって「だいこくさま」と 稱え、開運福の神、農耕の祖神、漁業の神、土地の神、殖産の神、医薬の神、温泉の祖神などと申上げて人々の生活が豊かになるように、お導きになっていますが、 特に縁結の神としての信仰は世に知られるところであ ります。 又幽冥主幸大神として、後の世の人々の みたまをおまもりなさる神でもあります。
沿革 :
出雲大社山口分院は開祖山口藩士末田真穂大人が、明治13年、赤間宮禰宜奉職中に、80代出雲国造 出雲大社大宮司、神道西部管長千家尊福公の御巡教に屡々随行し、杜務の傍、大いに斯道の発揚宣布に努め、明治15年、出雲大社の御分霊 を奉齋せしに創り、爾来、2代分院長、大教正 末田三枝大人が東奔西、90歳にて皈幽する迄、終始一貫、惟神の大道を講明し、神道布教に精進努力し、今日に至る迄、神威赫灼として霊験彌々新たなり。
尚現神殿は「大社造」にて、神明造と共に我国最古の神社建築様式である。
昭和45年1月着工、昭和48年3月竣功、設計施工は、エ匠品川一翁である。
境内の案内板より
拝殿の左側に社務所の建物がありました。
維新記念公園のすぐ北側で川と言うか水路沿いに建っていました。入口の石鳥居は、直方体の石材を組んで作られていて特徴的でした。左右の柱には「神者依人之敬増威」「人者依神之徳添運」とかの文字が刻まれていて、注連柱に島木や貫(鳥居の上部の横長の部位)をくっつけて鳥居の形にしたような不思議な様相でした。
石鳥居をくぐった先は、左側に駐車所、右側に広場?に挟まれた参道の先、30〜40m位先に社殿や境内社のエリアになっていました。
正面に拝殿が建っていました。出雲大社の分院は、広島、岡山に次いで3カ所目ですが、山口分院が一番、出雲大社本社の社殿に似ていました。(広島、岡山分院は、似て無いと言うか、社殿は全然違う様相でした。ただ、どこも、注連縄は、綯い始めが左側に来る出雲大社方式でした)
出雲大社は日本の他の神社と違う系統らしく、神社では無く教団になるようです。神社庁には属していないそうです。神社本庁が基本的なお参り作法とする「二拝二拍手一拝」では無く「二拝四拍手一拝」を作法の基本としていました。
左側の建物の1階に社務所があり、御朱印はこちらで、直書きして頂きました。
右側には名所不明の境内社? 集会所にも見えますが、正面にお賽銭箱が置かれて、後ろには本殿らしき建物が建ってます。右側に表札のような木板が掲げられ何か書かれてましたが、残念ながら擦り切れて読めませんでした。(一番上は「大」の文字っぽいのですが)
拝殿の右斜め前に恵比須社には、大国主大神(だいこくさま)と共に開運招福の神として商売繁昌・海上安全の神として信仰されている事代主神(えびすさま)が祀られていました。
Φ ポケストップがあります・・・・ 恵比寿社
Å ポケモン・ジムがあります・・・出雲大社山口分院