散歩道: 金刀比羅神社(岡山県岡山市北区野田屋町2)

 岡山県岡山市北区野田屋町2 に建っている「金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)」です。JR岡山駅から徒歩約9分。岡山駅前通りのホテルだったのでホテルからは7分位でした(googleマップ経路情報より)  
 町中に建つこじんまりとした神社です。書置きの御朱印が置かれているとの情報だったので、8時台の早い時間帯でしたが参拝に行きました。交通量は少なかったですが、入り口が道路に直接面しているので出入りする時は自動車や自転車に注意が必要です。
 中央に拝殿、拝殿の後ろに本殿。拝殿の左側に天満宮、春日神社、稲荷神社等の境内社が並んでいるエリア、右側には使われているようには見えない社務所が建っていました。小さな範囲にこじんまりと纏まっていました。

 8時半位に到着した時には、宮司さんが朝のお努めで祈祷されていました。宮司さんの邪魔をしないように音控えめに参拝した後、拝殿の前辺りに書置きの御朱印が置かれていないか、探しましたが、拝殿前には見つかりませんでした。
 「お努め中の宮司さんに聞く訳にもいかないよなぁ~」等思いながら、キョロキョロしていると、拝殿の右側に社務所との張り紙が見えました。扉は空いたまま(というより無い(^_^;))、窓にはカーテン、使われて無さそうと思いながら近づいてみました。窓の前辺りに鳥居を模してる?ような台が置かれていて、その台の上の左側に御朱印が置かれていました。
 私が御朱印を頂いた時は、2枚しかなく、私が1枚頂いたので残り1枚でした。お努めの後に宮司さんが補充するのだとは思いますが、運が悪いと、残っていない事もあるかもです。
 

金刀比羅神社 御由緒

 金刀比羅神社は、天正元年(1573年)宇喜多直家入城による城下町整備に伴ってこの地に創建され、その後岡山城主となった宇喜多秀家が国家安泰の祈願所とした神社といわれ、金比羅大権現として祀られていましたが、明治2年5月に現在の社名に改められました。
 金刀比羅神社前は、西からの諸大名が参勤交代に江戸に赴く道筋であり、諸大名や旅人が拝礼し通過していたと伝えられています。
 戦災前の建物は本殿、幣殿、拝殿、渡殿、神馬殿などがあり、末社として稲荷神社、天神社、疫神社、春日神社を擁していました。
 昭和20年(1945年)6月29日未明の岡山大空襲により、付近一帯の市街は焼け野原となり、金刀比羅神社も多くの焼夷弾を受けて建物は全焼しましたが、狛犬や燈ろう、手水鉢は、焼夷弾により焼けたり、欠けたりしながらもかろうじて残りました。
 終戦の翌年には、本殿及び社務所が再建されたといわれ、狛犬や燈ろう、手水鉢も修復されましたが、残された傷跡がかつての空襲の激しさを今に伝えています。
                                境内の案内板より

 拝殿の右側の社務所前の台の上に書置きの御朱印が置かれていました。

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