岡山県岡山市中区東山1 に建っている「玉井宮東照宮(たまいぐうとうしょうぐう)」です。JR岡山駅から徒歩約45分。路面電車の東山駅からだと7分位です。大福寺からだと8分位です。(googleマップ経路情報より)
googleマップナビの特徴で、細い道など、道と認識して無い場合は、ポイントから直線で一番近い道
に案内されます。神社やお寺など山や林に囲まれた長い参道がある場合、拝殿や本堂に近い道に案内されますが、そこから、お寺や神社に入れない事も多いです。今回の玉井宮東照宮の場合は東側にある自動車参拝用の道に案内されました(^_^;) 自動車が通れるので徒歩で行けない事もないのですが、正式な入口は西側にあります。
私の場合、東側の自動車参拝用の道に案内された後、表参道の入口があるかと南に向かいましたが、境内の南端の駐車場に繋がる細い石段道まで行く羽目に(;_;) かなりの遠回り
境内の南の端から入って駐車場を抜けると、三勲神社、玉満稲荷社、少宮社などの境内社が並ぶエリアを通り、大きな石鳥居の前まで、約80m位。
そこから、石鳥居、随神門を通り、さらに沢山の境内社を参拝しながら80m位参道と石段を登ると拝殿前に到着します。
拝殿の後側(北側)に本殿が建っていましたが、意図的か?季節的な原因か?、伸びた木々に囲まれて殆ど見えませんでした。本殿の左側(西側)には白龍社、右側に金龍社が建っていました。白龍社は参拝出来ましたが、金龍社の方は、周辺工事中なのか?囲いが有って近づけませんでした。共に龍神を祀っていました。参拝日を上手く合わせられたら、祭典日、正月と言った日付限定や枚数限定等の御朱印も頂けるようです。(種類でみると、御朱印は、白龍社と金龍社が主役ですね(^_^))
此の地に玉井宮が遷座された後、玉井宮を遷座し同じ場所に江戸時代に岡山藩主池田氏が東照宮を勧請し、東照宮を建立。その後、2つの神社が合祀され玉井宮東照宮となったそうです。
境内に沢山の説明板やネット上の情報で、「玉井宮」は「たまいぐう」と「たまいぐ」の読み方がされています。公式ホームページでは「たまいぐ」になっているので、「たまいぐ」が正しいかもしれません。また、googleマップ上だと、西側にある参道入口にある鳥居が「二の鳥居」、随神門の前に建っている鳥居が「一の鳥居」になってますが、普通は逆のような気がします(^_^;) 公式HPやパンフ等にはその手の記述は見つかりませんでした。
拝殿のあるエリア前の石段登ってすぐ右側、拝殿の右前に社務所・授与所があります。祈祷などの受付時間が9:00~16:00となっていましたが、私が、拝殿でお参りした後、12時ちょうど位に向かっていると中から人が出てきました(恐らく、お昼休憩) 12時台は無人かもです。
(恐らく)休憩に入る所を邪魔したにも関わらず、親切丁寧に対応して頂き、直書きの御朱印を頂きました。(境内社の三勲神社の御朱印もあります。また、日を合わせれば期間限定の御朱印等もあるようです)
玉井宮はもと児島郡光明崎(今は岡山市米崎)に鎮座していましたが、応徳2年(1085年)の頃毎夜社頭より発する光が海面を照し魚が寄りつかず漁師達は不漁で困りました。そこで神前でお伺いをたてたところ御神前の御幣が舞上り飛んでゆき落ちる、そこに遷座せよとのご神託がありました。その御幣が落ち立った所が此処です。故にこの山を幣立山と言います。
正保2年(1645年)藩主池田光政公がこの地に東照宮を勧請せられ玉井宮は前の広場に移築されました。初は豊玉比売命1柱がお祀されていましたが、其後、彦火々出見命と玉依比売命の2柱が合祀されました。
明治14年県社となり再びこの地に帰り東照宮と合祀され社名も玉井宮東照宮と改められました。
境内の説明板より
拝殿前の石段登ってすぐ右側、拝殿の右前に社務所・授与所があります
御朱印のページへ
世界一平和で格調高い国歌、「君が代」に詠い込まれているさざれ石は、この石の事です。
昭和54年、林秀一先生を会長に「さざれ石の会」が生まれました。先生は国歌「君が代」を国民の間に深く根着かせようと決意されました。この度先生の頌徳碑(境内東南端)建設に當り産地岐阜県春日村林文治氏より特志を以ってこの碑を贈られました。
白龍社
玉井宮の祭神豊玉比売命、玉依比売命は龍神界を統轄される神です。白龍神はその下で眷族としてお働きになります。
この白龍神は昭和28年頃までは山向の操山に祀られていましたが、有志のご芳志もありここに再興しました。
白龍神は人の目にふれる時は一尺位の白蛇となって現れるとの事です。
坂中荒神社
坂中荒神社は一千年以上の昔(玉井宮がこの地に遷座された以前)から当境内に祀られていました。
末社とはいえ維新前には藩主の崇敬篤く今日でも広く諸人に崇敬されています。
荒神は竈(かまど)・火の神として古くから信仰されています。
玉井宮鳥居(たまいぐうとりい
玉井宮は応徳2年(1085年)小串米崎(こぐしこめざき)(現、小串)から当地に移され、この鳥居は安永4年(1775年)に参道入口に建てられました。
昭和20年(1945)6月29日未明の岡山大空襲の際、社殿は焼失を免れましたが、鳥居の一部が破損してしまいました。
現在では残りの一部が戦災の記念としてこの場所に移され、当時の記憶を今に伝えています。
玉満(たまみつ)稲荷社
この玉満稲荷社は京都伏見稲荷より勧請し祀られた稲荷社です。
戦前は赤鳥居が多く並び多数の崇敬者を集めた稲荷社です。
其の後荒廃がひどく昭和51年崇敬者の要請により再建されました。
少宮社(しょうぐうしゃ)
この社は、代々の宮司と神社の維持に功績のあった人と神社神道の人の御霊を祀った社です。
境内
拝殿の周辺
Φ ポケストップがあります・・・・ 山川神社、玉井宮鳥居、 坂中荒神社、金龍社、白龍神
Å ポケモン・ジムがあります・・・玉井宮東照宮鳥居