散歩道: 能満寺(広島県福山市西町1)

 広島県福山市西町1にある「妙智山 普門院 能満寺(のうまんじ)」です。JR福山駅から徒歩約10分。(googleマップ経路情報より)  
 瀬戸内観音霊場第23番札所、福山西国壇25番札所で真言宗のお寺です。

 参道の右側は納経所や庫裏・社務所と思われる建物が並び、左側には六地蔵堂や、ガッツポーズ?している元気モリモリ地蔵、赤いハートを持った縁結び地蔵等、親しみやすくほっこりするお地蔵様が鎮座されている號鐘堂等が配置されていました。
 號鐘堂には、洋風の鐘と3体のお地蔵様がいらっしゃいます。普通に撮影すると鐘についてる紐が、真ん中のお地蔵様(名前が書かれて無いです)のお顔に見事被ります^^; しゃがんで撮影した方が良いです。

能満寺 縁起

 妙智山普門院能満寺はJR福山駅から西へ歩いて数分の所に位置している。もと現在の福山城のある丘陵にあって(鎌倉時代、備後守護職であった杉原氏と関係深く、南北朝の戦乱ともかかわった寺である)福山城築城の際、現在の地に移された。
 寺伝によると、平安時代末期の治承4年(1180)高倉上皇の勅願寺として建立された。
 上皇、厳島神社参詣の帰途、多くの島々に彩られる瀬戸内の風景を賞でられ、この丘陵に天下泰平と平家隆昌を祈願して当院を建立された。
 鎌倉時代には守護職杉原伯耆守光平の菩提寺として栄えたが、杉原氏断絶で寺運は傾く。
 その後、初代福山藩主水野勝成公によって城下町が造られることになるが、その時能満寺を西南方向(未申)の現在地に移築し福山藩の裏鬼門の守護寺とした。それ故に当院は旧福山城下町としては城下町建設と同時に造られた最古の寺院ということになる。
 また福山城築城の地鎮祭には明王院円光寺住職が導師、能満寺住職が副導師を勤めている。
 しかし、天和6年夏、芦田川決壊による大洪水に見舞われ、堂宇すべてを流されその後再建進まず往時の十分の一の規模のまま今に至る。
 現在、本堂のほか、客殿・庫裏・研修センターなどがある。
(宗旨)    高野山真言宗
(御本尊)秘仏 聖観世音菩薩(寄木造り)
(脇仏)    地蔵菩薩立像・広島県重要文化財指定(室町中期・寄木造り)他 
                                 門前の案内板より

 参道の右側の方に納経所の表札が出ています(ちょっと薄れていて読み難いかも) 丁度、その表札の下辺りの台の上に御朱印が入った箱が置かれていました。

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Φ ポケストップがあります・・・・  妙智山 能満寺
Å ポケモン・ジムがあります・・・振励館跡地(旧誠之館講堂)(境内内かどうかは微妙な位置です)

  

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