散歩道: 海龍寺(広島県尾道市東久保町)

 広島県尾道市長江1にある「転法輪山 海龍寺(かいりゅうじ)」です。真言宗のお寺です。JR尾道駅から徒歩約28分。浄土寺の境内を東側から出たらすぐ正面に海龍寺の山門が見えます(googleマップ経路情報より) 
 googleマップ上だと、線路と浄土寺の南側の間の道が表示されますが、浄土寺の境内を通って行った方が近いし分かり易いです。 

 山門に書かれていた山号がお隣の浄土寺と同じ「転法輪山」だったので、「あれ?」と思いました。
 元々は曼荼羅堂と呼ばれていたものが、浄土寺の塔頭となって「海龍寺」と改名したそうです。
   (塔頭(たっちゅう)・・「大寺院の敷地内にある小寺院や別坊。高層の死後、弟子が
              その徳を慕って、ほとりに建てた寮舎」 的な意味のようです )

 海龍寺の境内はそんなに広くは無いですが、すぐ裏には浄土寺山が拡がっているので、開放的な感じです。岩山のあっちこっちに鎖が設置されているのが見えます。鎖を伝って岩山を登る修行場です。
 浄土寺山の山頂には展望台があります。以前の話ですが、海側から見ると車道などは全く見えず、歩いて登らないといけない場所って思って登ったら、裏側には車道があって、「なんじゃこりゃ(^_^;)」とガク。 でも、歩いて登ると途中に大岩・奇岩等の見所も多く、山頂からの展望は素晴らしく、歩いて登った価値は十分ありました。(鎖場は避けて、普通に歩いて登れます)

海龍寺 御縁起

 奈良の西大寺の定証上人が西国巡教の途路当時曼荼羅堂といわれていたこの寺に住み、荒廃していた浄土寺を建立したと伝えられている。
 その頃備後の大田庄の荘官でこの寺の別当職であった和泉法眼渕信がこの寺を定証に寄進したという古記録がある。
 正平2年(1347)には炎上したが、直ちに再建され、寺名を現在の海龍寺と改めたのは寛文2年(1662)である。
 本尊は鎌倉末期のものといわれ千手観音菩薩である。山門の直ぐ右側に文化7年(1810)の文楽之墓と文政3年(1820)の竹本弥太夫の墓があるが、これは江戸の末期に尾道の浜問屋の壇那衆が大阪から文楽師匠を招いて余暇を楽しんでいて師匠の死後追善供養の為建てたものである。
 庫裡の裏庭山麓に広がる大磐石は花崗岩の多い尾道地方でもめずらしい巨岩である。

                            境内の案内板より

 左側の地蔵堂と右側の本堂の間の狭い道を奥に行った所に、授与所があります。

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授与所

本堂と地蔵堂の間、左側の細道の先が授与所です

文楽の墓

お経の塚を撫でながら念じると、技芸上達するといわれています

鎖岩

鎖を蔦って岩山を登る修行場です。昔は登れてましたが、今はどうなんでしょうか?

Φ ポケストップがあります・・・・ 海龍寺
Å ポケモン・ジムがあります・・・

  

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