散歩道: 小松寺(広島県福山市鞆町)   

 広島県福山市鞆町 にある「萬年山 小松寺(こまつじ)」です。JR福山駅から鞆港までバスで約30分。その後、各社は殆どが隣り合ってるような近さなので、所要時間は省略します。
 鞆の町の西側(山側)の南北に沿って寺院が集中している通りがあります。正式名が有るのか無いのかも分かりませんので、勝手に「古寺通り」と呼ばせて貰います。

 古寺通りから沼名前神社の参道に入る辺り、二の鳥居の手前左手の路地から入って行った所に建っていました。本堂の入口は、サッシの扉で自由に開けて拝むことができました。本堂の左前の地蔵堂には珍しい髪の毛のあるお地蔵さんが祀られていました(言われないと髪があるの気が付かないと思います)

小松寺略記

 安元元年(1175)小松内府平重盛卿厳島参詣の途路護身の阿弥陀仏像を安置して一宇を建立し記念に沼畔に松樹を植う(樹齢850年の偉容を誇りしが昭和29年台風により倒伏死す)
 寿永2年(1183)二男資盛の命により平貞能京より重盛卿の遺髪を持参す、五輪塔を建立し盛大なる法会を営む。
 延元元年(1335)足利尊氏九州より大挙東上の途中弟直義と当寺に宿陣し軍議す、光厳院の院宣を受け錦旗を掲げ意気衝天す。
 歴応2年(1339)南北朝期当寺に本営を置きし北朝軍と大可島に陣する南朝軍との激戦十数日旧記什物は勿論殿堂仄烬に帰す、大永年中安国寺六世曇◎華禅師再建し禅刹とす。
 天正3年(1575)京を追われし15代将軍義昭当地に宿陣の毛利輝元を頼り当寺に寓居、羽柴秀吉との和議成立するや常国寺に移住す、古人曰く「足利は小松に興り小松に亡ぶ」と慶安年中城主水野勝成当寺の寺域の大半を割き祇園宮の社地とす。
 元和9年(1623)九州久留米の梅林寺三世澤雲禅師再建す法系今日に至る。
 貞享2年(1685)再び境内を割いて社地となし今日に至る。
 本堂前に祀る有髪薬師地蔵尊は非常に珍しい石仏で古来霊験顕著著として遠近より参詣者多し。

                                 境内の案内板より
  出ない漢字: ◎ 「捜」の手偏が上半分の縦線になってるような字

 本堂の右前の庫裏のインターフォンを押してみるが反応無し。境内を掃除されている方がいらっしゃったので聞いてみると、御住職がお亡くなりになって、現在は無人との事でした。

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