広島県廿日市市桜尾本町にある「正覺院別院 薬師堂(やくしどう)」です。広島新四国八十八ヶ所霊場の第六十八番霊場で真言宗のお寺です。正覺院の別院です。
廿日市天満宮の表参道前の道路を北東に真っ直ぐ200m弱行った突当りにありました。ビルのような建物で、ドア前には格子のシャッターが閉まっていたので、駐車場の後ろから手を合わせただけでした。
当山は、篠尾山大乗寺正覺院別院薬師堂と称す。貞応年間(一二二二〜一二二三)厳島神社社職である藤原親実卿が、鎌倉より廿日市桜尾城に転任し、当時の本尊を崇信して桜尾城祈願所と定められた。その後、文明十年(一四七八)藤原奥親卿と、当寺の本尊として不動明王を勧請し、祖先親実卿供養の為、堂宇を建立して正覺院と名付ける。慶安五年(一六五二)親実卿が信仰していた産土神天満神社を桜尾城より移転祭祀し、廿日市氏神社とせし為、別当職として明治維新に至り、廃仏毀釈に依り神仏分離す。明治十七年(一八八四)祝融の災いに罹り、堂宇悉く灰儘に帰す。以来天満神社と正覺院各々再建現在に至る。
その正覺院本尊が元々薬師如来で有ったと伝わる歴史を思い、当時の住職菅梅文悳大僧正が一切有情の身心安楽を祈念し発願。
昭和五十九年大佛師松本明慶師に薬師瑠璃光如来、日光菩薩・月光菩薩並びに薬師十二神将、併せて十五体の尊像からなる薬師曼荼羅を依頼。平成七年に檀信徒会館を兼ねた正覺院別院薬師堂を落慶し、本尊として勧請。実に十年以上の歳月をかけての事業と成った。
平成十七年には京都の「智彩堂」主宰 長谷川智彩師による手描きの両界曼荼羅像(金剛界曼荼羅・大悲胎蔵曼荼羅)を勧請し現在に至る。
広島新四国八十八ヶ所霊場のホームページより
御朱印は、正覺院で頂きました。
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