散歩道: 草津八幡宮 (広島県広島市西区田方)

 広島県広島市西区田方にある「草津八幡宮」です。広電・草津駅から徒歩約6分。海蔵寺から約5分(googleマップ経路情報より) 海蔵寺の隣ですが、道なりに行くと踏切を2回渡るような、ちょっと遠回りになります(近道があるかもしれませんが)
 189段もある石段を登って、鳥居を3つくぐるとやっと拝殿前に到着しました。

 拝殿前の石燈籠に「カープ応援絵馬」の案内があり、拝殿の右側、神馬像の前に「絵馬掛け処」があり、佐々岡新監督のサインの周りに沢山の絵馬が掛けられていました。
 境内には小さな石の祠「歯固め石の祠」がありました。赤ちゃんが生後100日目の「お食い初め」の膳に添えて「石のような丈夫な歯が生えて長生きできるように」と祈る時に使う石が入った祠でした。

草津八幡宮 御由緒

御祭神 :  品陀和気命(ほんだわけのみこと )
       息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと )
       帯中津日子命(たらしながつひこのみこと)
相殿神 :  宗像三女神(多紀理姫命、湍津姫命、市寸島姫命)
       素戔嗚神(すさのおのかみ)
       倉稲魂神(うがのみたまのかみ)
       金刀比羅神(ことひらのかみ)
御由緒 : 
 古来、この草津、古江の地は深い入江であって天然の良港をなし、神武天皇、神功皇后の伝説を多く残している。
 社伝によれば、推古天皇御宇(593-628)宮島の厳島神社とほぼ同じくして、この入江の奥に多紀理姫命を海路の守護神として祭ったのが当神社の創祀という。
 八幡神の奉斎の時期については、諸説が社伝として残り定かではないが、鎌倉時代に武蔵国渋谷郷(現、東京都渋谷区)から当地に所領を得て来住した社家始祖(右衛門大夫または右京大夫と伝える)が宇佐八幡宮より勧請し、古くより当地に祀られていた「多紀理の宮」と合祀して八幡宮を創建し、後に力箭八幡宮と称したと言われる。また一説によると、宇佐八幡宮の社人、宇佐彦が土佐に赴き、七代目の渋谷右衛門大夫という者が当地に来り、宇佐八幡宮より金交石の御分霊を戴き、これを宇佐来山麓に勧請したとも伝えられる。
 その後、大永四年(1524)するに修造。なお、往古は当社の崇敬範囲は己斐より廿日市に至る沿岸部一帯に及んでいたという。昭和六年、近郷六箇村の氏子により境内地の造成と共に総ての社殿が再建造営された。相殿神の宗像三女神の内、市寸島姫命と湍津姫命は明治二十五年厳島神社より御分霊を神馬にお乗せして正式に勧請され、素盞嗚神、倉稲魂神、金刀比羅神は明治末期神社統廃合の折、合祀されたものである。なお、古くは社殿は海浜の近くにあったと伝えられるが、再建の度に高所へ遷され、現在では力箭山の中腹に鎮座している。

                                  境内の説明板より

 拝殿の左前辺りに社務所・授与所のような建物があり、「窓を開けてお取りください」との張り紙がありました。御朱印は、一番左側(ドアに近い方)にありました。

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