広島県広島市安佐南区相田にある「萩尾山神社」です。アストラムライン安東駅から安川を渡って南方向へ緩やかな登り道を上がった所にありました。
表参道は注連柱を潜って石段上がると境内の横に出ますが、境内入口の石鳥居は半周位回った所にありました。
田中山神社と同様に赤瓦の社殿でした。
神社が建立された510年前(2010年基準)、明応3年(1494)当時は「応仁の乱」(1467)を口火として戦国時代に突入した時代でした。
安芸武田家8代銀山城主の武田元網は、武田家の武運とお城の鬼門鎮護を願い、子の繁綱に命じてこの神社を建立させました。
その後、寛永元年(1624)には、大利山にお祀りするという記録が残っています。
元文5年(1740)には、村人が話し合い新しい神社を建てて大利山から現在の場所にお迎えをしました。その年の12月に横山松庵が、自宅の屋敷内に祀っていた恵比須神もこの神社に合祀されたことから恵比須社とも呼ばれています。
祭神は 品陀和気命(応神天皇)、事代主神(恵比須神)、大歳神です。
境内の説明板より
表参道入口付近
萩尾山神社の表参道の入口付近です。2本の大きな石柱に竹竿を通している注連柱から長い石段が続いていました。階段の上には狛犬と綺麗に黄葉したイチョウの木がありました。
拝殿前の境内
拝殿前の境内の風景です。表参道を進むと境内入口の石鳥居に到着します。石鳥居の前に手水舎があり近くの楓の木が紅葉しかかってました。
拝殿
この辺りの神社の特徴なのか、萩尾山神社に来る前に寄って来た田中山神社と同じように珍しい赤瓦の社殿でした。
拝殿内には、 恵比須天らしき方が巨大な鯛を捕まえる絵や軍艦の艦隊の姿を描いた絵、馬の絵など沢山の額が奉納されていました。
本殿
本殿です。拝殿と本殿の間に柵があり本殿が見える場所が限られていました。しかも、木の陰に隠れてしまいました。
本殿の後ろは、一段低い場所に公園が作られており、公園からなら本殿が見えますが後ろ姿だけでした。
Φ ポケストップがあります・・・・萩尾山神社参道口常夜灯
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