散歩道: 新日山安国寺不動院 (広島県広島市東区牛田町) 二葉の里歴史の散歩道(B)

金堂
金堂

 東区役所の地域起こし推進課が出している「二葉の里歴史の散歩道」の散策マップに沿って西側を回って来ました。マップの番号をそのまま使わせて貰ってます。七福神巡りも含まれてますので、①不動院から⑥安楽寺までになります。マップは以下より
  「二葉の里歴史の散歩道」 : 広島市東区役所ホームページ
     http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1185616769385/index.html
  「二葉山麓七福神巡り」 : 七福神巡りの神社仏閣のホームページ
     https://www.tsuruhanejinja-hiroshima.jp/omairi/omairi06/


 広島県広島市東区牛田町にある「新日山安国寺不動院」です。アストラムラインの「不動院前」駅からすぐの所にあります。
 「二葉の里歴史の散歩道」や「二葉の里七福神巡り」等していると、何処の神社仏閣に行っても、被爆建物、被爆樹木、「原爆で焼失後、再建された・・・」と言った文言を目にするなか、不動院は、地理的な条件が幸いして焼失を免れたそうです。「金堂」は、広島市で現存する唯一の国宝だそうです。(市内で国宝が1つだけとは、ちょっと寂しいですね)   

不動院の由来

 不動院の前身は、一説には足利氏が国ごとに設けた安芸国安国寺と言われる。一時、この寺は安芸守護武田氏が滅亡したため、寺運も傾き衰微していたと伝えられるが、戦国期に毛利氏の使僧として活躍した恵瓊(じけい)によって再興されたという。
 彼は慶長5年(1600)まで住持を務め、天正年間(1573~1596)を中心に寺域の整備を行った。不動院の名は恵瓊の後の有珍(ゆうちん)の代で真言宗に改め、寺号を変更したものである。不動院には長い歴史を物語る多くの文化財が所在している。
     境内の案内板より

 御朱印は本堂の右の前の方にある社務所で頂けました。      (2020.02.20 追記)

   御朱印のページへ

楼門

楼門
楼門

『上層の尾椎に朝鮮木文禄三(1594)等の刻銘があり、文禄の役に従軍した恵瓊が当時の朝鮮から持ち帰った材木で建立したものでといわれていますが、建築様式から室町時代のものとみなされ、恵瓊が朝鮮木を使って修復を行ったとも考えられます。』   境内の案内板より

金堂

金堂
金堂

 広島市内に現存する唯一の国宝指定されている「金堂」です。
『 大内義隆が周防山口に建てたものを安国寺恵瓊が移建し、仏殿にしたと伝えられています。現存する唐様の建築としては最大の遺構であり、中世の本格的な仏殿の規模をうかがうことが出来ます。正面一間通りを吹き放しとした珍しい構造は、大陸的な正式の手法と考えられます。天井に描かれた天女と竜の絵には「天正九年・・・」(1540)の賛があり建物の創建もこの頃と推定されます。 』    境内の案内板より

不動堂

不動堂
不動堂

境内の西側の奥の方にある「不動堂」です。お寺の本堂にあたる場所だと思います。
 正式な名前は分かりませんが、正面に大きな数珠を滑車に掛けて回すような物があり、中では御祈祷が行われていました。

福玉稲荷

福玉稲荷
福玉稲荷

 境内の西側にある稲荷神社です。境内の案内板では「稲荷社」となっていましたが、社殿には「福玉稲荷」と言う提灯が吊られてました。
 後で気が付きましたが社殿の側面に説明文らしきものがあるのに気が付きましたが、アップの写真がないので詳しくは分かりませんでした。

鐘楼堂

鐘楼堂
鐘楼堂

『 永享5年(1433)頃の建立されたもので、内部には高麗鐘があります。銘や痕跡から天正年間移築の可能性があります。 』    境内の案内板より

太閤豊臣秀吉公の遺髪の墓

太閤豊臣秀吉公の遺髪の墓
太閤豊臣秀吉公の遺髪の墓

 豊臣秀吉公の遺髪のお墓です。一般のお墓の中に「広島城主・福島正則公の墓」「銀山城主・武田刑部少輔の墓」等、歴史上の有名人のお墓があります。石柱が立っているので場所は分かり易いです。

Φ ポケストップがあります・・・・不動院前灯籠、鐘楼、法起菩薩「牛の守護佛」
Å ポケモン・ジムがあります・・・国宝不動院

  

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