散歩道: 鶴羽根神社 (広島県広島市東区二葉の里)  二葉山七福神巡り(5)

鶴羽根神社
鶴羽根神社

 広島県広島市東区二葉の里にある「鶴羽根神社」です。 「七福神巡りの5つ目の目的地です。 JR広島駅から10分、広島東照宮からなら5分位です。
 入口の注連柱から参道、参道橋、石鳥居、石段、社殿までがほぼ直線上に配置されている為、入口に立つと鶴羽根神社の主な建物が一望できました。
 中央の参道と広場的部分を挟んで、入口から見て左側に「椎木稲荷神社」「弁財天像」「手水舎」、右側には銅像や記念碑、被爆樹木が配置されていて、何と言うのか、凄く纏まった落ち着いた感じのする神社です。

鶴羽根神社の由来

 当社は、建久年間(1190~1191年)に、源三位頼政公(安芸國加茂群西條郷領主)の室菖蒲ノ前が芸州知行せられる折の御遺言によって、元久年間(1204~1206年)に社殿を建立し、御祭神を観請したことが始まりと伝えられています。その際に、修理料として椎木山(現 二葉山)を寄進された為に、往時は椎木八幡宮と称されていました。
 明治元年(1868年)朝令の神仏混淆御引分にもとづき、藩主浅野12代 長勲公の撰名により、神社背裏の山形が、鶴の羽根を広げた姿に似ている事から、社名を鶴羽根八幡宮と改め、同5年に鶴羽根神社へと改称、同時に、広島東部総氏神へ列せられ、同40年には神饌弊帛料供進社に指定されました。
               公式ホームページより転載

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入口周辺

注連柱と石鳥居
注連柱と石鳥居

 入口の右側に「開闢以来君臣定矣」、左側に「以臣為君未之有也」と書かれた石柱を注連縄で繋げた注連柱、その後ろに石鳥居、参道橋、参道、石鳥居、石段、社殿とほぼ直線上・ほぼ同じ高さに配置されているので神社の主な建物を一望できました。
 
 

椎木稲荷神社

椎木稲荷神社
椎木稲荷神社

もと「朝櫻神社」と称していた境内社と、その土地古来の神さまであります「地主大神」さまを併せ祀り、昭和初期の大惨事である原爆投下からの復興・再建時より、鶴羽根神社の古社名をいただき、「椎木稲荷神社」と改称し今の世に至っております。(現 二葉山は、古くには「椎木山」と称されており、当社への修理料として寄進、社領地でした。)往時は、五穀豊穣・商売繁盛などを願い、多くの人々に崇敬されています。

拝殿

拝殿
拝殿

 鎌倉時代、源頼政の遺言により、二葉山山麓に建立された「椎の木八幡宮」が前身と伝えられ、約800年の歴史を誇っています。広島東部の総氏神として崇敬厚く、敬拝されてきました。
 明治元年に「鶴羽根八幡宮」、明治5年に「鶴羽根神社」と改められました。    門前の案内板より

拝殿前から境内

拝殿前から境内
拝殿前から境内

 拝殿前から境内を見た写真です。境内の石鳥居と入口の石鳥居を真っすぐに結ぶ参道で繋がっています。
 右側に「椎木稲荷神社」「弁財天像」、原爆にも耐えた「手水舎」等々が配されてました。
 左側には、「山縣豊太郎像」被爆樹木の「クロマツ」「石碑」等々が配されてました。

弁財天

弁財天
弁財天

 七福神の1人境内に入って左側、手水舎の横にいらっしゃいました。
『ひく琵琶の 妙なる音にも 似たるかな 服を喜ぶ諸人の声』
 河の神、水の神として崇拝され、後に 梵天の妃になったとされています。水のようにどんな器にも入る素直さと、岩をも通す強い意志を示され、知恵・諸芸能上達・財福の徳がある神様です。
     案内板より

被爆樹木・クロマツ

被爆樹木・クロマツ
被爆樹木・クロマツ

 被爆樹木の「クロマツ」です。
 「爆心地から 1,810m。ここで被爆しました。幹には傷痕があります。」  案内板より

 境内には、この「クロマツ」以外にも被爆樹木があるそうです。

Φ ポケストップがあります・・・・山縣豊太郎像、鶴羽根神社本殿
Å ポケモン・ジムがあります・・・鶴羽根神社鳥居

  

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