広島県広島市東区にある「國前寺」です。聖光寺から徒歩で3分ちょっと位です。「七福神巡り」の2つ目の目的地です。
「二葉の里歴史の散歩道」と言う事でモデルコースの地図や各神社仏閣の前には説明板とかが整備されていました。 「七福神巡り」は 「二葉の里歴史の散歩道」の中に含まれているので、回るのは楽でした。
境内はちょっと狭目で建物の前に自動車が停まっていて、景観を壊しがちでした。
石段上がったらすぐ左側、鐘楼の手前に七福神の1人「大黒天」像があります。
暦応3年(1340)、日蓮の弟子の日像に師事した 暁忍 が自昌山・暁忍寺と言う寺を開いたといわれています。その日像が厳島に渡る途中、強風にあい岸辺の松につないで避難し暁忍と出会ったと伝えられる「日像船つなぎ松」が山門前にあります。
その後、明暦2年(1656)、浅野2代藩主光晟の布陣満姫(法名:自昌院)の発願により本堂、庫裏などの伽藍を寄進建立して菩提寺となし、寺名を「國前寺」と改めました。 案内板より
山門
案内板によると「天保11年(1840)の建築です。三間一戸二階二十門 入母屋造、本瓦葺。桁行9.00m、梁間5.45m」 だそうです。左右に仁王像を配し、前面には大きな草鞋が吊り下げられていました。大きくて綺麗な山門でした。
大黒天
山門潜って石段上がって左側の七福神の1人「大黒天」像です。『打つ槌に 宝の雨を ふらしつつ 無福の民を救う御神』
穀物の神さま、農業の神さまで富をもたらす神様です。
本堂
「桁行24.0m、梁間14.0m、二重、寄棟造、唐破風造向拝一間」だそうです。
元々は、日蓮の弟子・日像に師事して暁忍が開いた「暁忍寺」が始まりで江戸時代・2代目藩主浅野光晟の正室・満姫の菩提寺にした時「自昌山國前寺」と改められたそうです。
本堂内部
本堂の入口の扉は開放されていたので中まで観る事ができました。
大きく金ピカな天蓋や幢幡や常花が多数配置され華やかな雰囲気でした。金ピカな飾りに隠れるように奥の方に「日蓮上人」らしき像がみえました。
庫裏(りく)
境内の案内板では庫裏となっているので、お寺の住職やその家族が住む場所。食事を調える場所のようです。お寺の建築と言うよりは武家やお城の建物っぽいです。
中は覗いてませんが、目の前に車が止まっているし、手前に椅子や机が並べられていて、本来の目的以外に使われているのかもしれません。
鐘楼
「入母屋造・桟瓦葺・袴腰付、桁間3.39m、梁間2.55m」
境内の左端に位置し境内が狭いくて距離を取れないのもあって、大きく威圧感があります。
行った時は、何かの工事中のよで、周囲に資材やらゴミ?やらが置かれていたのが残念でした。
Φ ポケストップがあります・・・・國前寺本堂
Å ポケモン・ジムがあります・・・國前寺山門