
大分県大分市荷揚町に建っている「大分府内城址(おおいたふないじょうし)」です。JR大分駅から徒歩約17分。長濱神社からだと12分位です(googleマップ経路情報より)
府内と聞くとお城を作った人、組織(朝廷とか天皇とか将軍とか)の格式的な意味かと思ってましたが、単純に大分の旧地名のようです。
石垣やお堀は、最初は、2日前に西寒田神社から大分駅に戻る時のバスの中から見えてました。改めて徒歩で近くに行ってみるとまた一段と綺麗なお堀、石垣、櫓でした。南側の大手門に向かい中に何があるのか、わくわくしてましたが、1歩中に入ると中は殺伐とした無機質な工事現場(何の工事?)&駐車場。外見とは全く違った印象でした。天守台も只の高台で確かに景色は良いけど、かなりがっかりしました。騒音も煩く、写真撮ったら、早々に北側の廊下橋から脱出しました(^_^;)
何の工事か分からなかったのですが、内部の施設や公園部分の整備なら、終わった後は楽しみですが。
1周まるまるお堀や石垣が残っていて角には白い櫓、橋や廊下橋など、外周を回るのもいいです。
「府内城 (荷揚城)」は、大分川と住吉川 (毘沙門川)の河口部に築かれ、本丸、二之丸(東之丸、西之丸)、三之丸 (武家屋敷) と城下町 (町屋) から構成されていました。
府内城は、大友氏が豊後国を去った後に、府内に入った福原直高が豊臣秀吉から命を受け、1597年(慶長2年)に築城が開始されました。その後、城づくりは竹中重利に引き継がれ、徳川家康の許可を得て、4層からなる天守を持つ本丸、城主の御殿のあった二之丸と北之丸(山里丸)、武家屋敷地となる三之丸が1602年(慶長7年)に完成しました。さらにその外側には、堀(外堀)で囲まれ碁盤目状に区画された城下町が造られました。
城下町は、北に海が広がり、東が大分川河口に面しており、高低差の少ない平坦な形状で、東西10町(約1,110m)、南北9町(約1,000m)の範囲に本丸と二之丸、三之丸、城下町部分を4重の堀で区画した堅固な構えとなっていました。
1873年(明治6年)には、外堀と中堀が埋められはじめ、1921年(大正10年)には本丸を囲む内々堀が埋められたことで、今では二之丸と三之丸を区切る内堀のみが残っています。
また、天守をはじめ23の櫓と5つの門、3カ所の廊下橋が火災や戦災などにより大半が失われてしまいました。現存する「宗門櫓」と「人質櫓」の2つの櫓は、県史跡に指定され、江戸時代の意匠を今に伝える貴重な文化財となっています。その他、現在でも残る内堀や土塀、石垣も県史跡であり、本丸や二之丸の敷地などは市指定の史跡となっています。
現在、これら「府内城跡」を含む周辺一帯は、「大分城址公園」の名で、市民の憩いの場として広く親しまれています。
御城印は、北側の廊下橋を渡って更に北側に2,3分位、7-11大分荷揚町店で販売されていました。レジで聞くと、一度バックヤードの方に取りに行ってたので、直接店頭には置かないようです。








Φ ポケストップがあります・・・・ 多数あり
Å ポケモン・ジムがあります・・・府内城
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