
岡山県岡山市北区に建っている「最上稲荷山 妙教寺(さいじょういなり みょうきょうじ)」です。JR備中高松駅(桃太郎線)から徒歩約45分。(googleマップ経路情報より) 日蓮宗のお寺です。
実際に歩くと、道も分かり易く自動車も少なく歩きやすいルートで40分弱位でした。門前商店街の入口周辺から、仁王門の辺りは工事中の為、少し遠回りになりました。
本堂(霊光殿)エリア、旧本殿(霊応殿)エリア、根本本堂エリアに分かれている神仏習合の大きなお寺で、各エリアを通路や回廊で繋げている感じです。周辺にも七十七末社など沢山のお社や題目石などが立ち並んでいて、大きな広い境内です。
最上稲荷の公式案内を見ると本殿(霊光殿)エリアは祈祷ゾーン、旧本殿(霊応殿)エリアは文化ゾーン、根本本堂エリアは供養ゾーンとしているようです。
最上稲荷の歴史は、天平勝宝四年(七五二)に報恩大師が八畳岩で御本尊の最上位経王大菩薩(さいじょういきょうおうだいぼさつ)を感得されたことに始まります。その後「龍王山 神宮寺」として繁栄を極めますが、羽柴秀吉(豊臣秀吉)の備中高松城水攻めの際、戦火によって堂宇消失という憂き目にあいました。
新たに領主となった花房公が関東より日円聖人(にちえん しょうにん)を招き、最上さまの霊跡を復興されたのが慶長 六年(一六〇一)。寺名を「稲荷山妙教寺(いなりさんみょう きょうじ)」と改めて、今日の興隆の礎が築かれました。以来 「不思議なご利益をお授け下さる最上さま」として多くの人々の信仰を集めています。信仰の両輪となる「祈祷」と「供養」をもって、 世の幸福を祈り命の大切さを伝えています。
伏見・豊川と並ぶ日本三大稲荷・最上稲荷は、千二百余年の 歴史を通じて仏教の流れを汲んで発展を遂げてきた稲荷です。
境内の案内板より
本殿(霊光殿)の左側の「ご祈祷・ご供養受付」の看板が出ている建物内で頂けます。日蓮宗のお寺なので御朱印とは別に御首題もありました。ペイペイが使えます。
参道・周辺部








JR備中高松駅の近くに赤っぽい大鳥居が立っていました。高さが27.5m、柱の直径4.6mもある大きな鳥居です。
門前商店街の近くになると「最上 稲荷山」の扁額を掲げた石鳥居が立っていました。門前商店街は朝早い時間帯だったせいか?工事中のせいか?、無人で薄暗い状態でした。商店街を抜けると仁王門の前に出るのですが、工事中の為、途中から、商店街を外れて駐車場とかの方に遠回りして、根本本堂の前から仁王門へと向かいました。
本殿(霊光殿)エリア









仁王門も通行止めだったので仁王門の横の石段から上に登ると本殿(霊光殿)のエリアに出ます。エリアの右側の方に霊光殿がたっており、左側にはご祈祷・ご供養受付所や売店などが並んでいました。一番右側に絵馬記入所・絵馬掛け処、その横から、旧本殿の方へ上がる階段がありました。
霊光殿は、本殿となっていますが、お寺の建物に見えるし、中から読経の音も聞こえて来るのでお寺式で参拝しました。神仏習合だとどっちの作法か迷います。
旧本殿(霊応殿)エリア
















霊光殿の右後ろの階段を登ると右側に鐘楼、正面には、良縁を結ぶ縁引大王と悪縁を切る離別大王を祀る「縁の末社」が立っていました。その左側、沢山の題目石等が立ち並ぶ坂を上がって行くと旧本殿(霊応殿)が立っていました。見た目は拝殿とその後ろに本殿が立ち周辺には沢山のお社が立ち並び神社の社殿のように見えました。どちらの作法でお参りすればいいのか迷ったので、両方でお参りして来ました。
旧本堂の左側に龍王山登山(一乗寺や龍泉寺へ)の入口があります。
根本本堂エリア










南側にあるエリアで、こちらは山門、妙教寺の扁額もあり、完全にお寺のエリアでした。
仁王門の右側の方に山門があり山門をくぐると正面に根本本堂、左側に大客殿。右側には水子観音地蔵や比島観音などがありました。
Φ ポケストップがあります・・・・ 縁の末社、最上稲荷 旧本殿、その他
Å ポケモン・ジムがあります・・・最上稲荷 仁王門、最上稲荷本殿、 妙教寺霊応殿本殿、その他
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