熊本県熊本市中央区上通町5-34に建っている「手取天満宮(てとりてんまんぐう)」です。熊本市電・水道町駅から徒歩約2分。藤崎八幡宮からだと、13分位です。(googleマップ経路情報より)
今回は、藤崎八幡宮(北側)から行ったので、社殿前の石鳥居から入りましたが、石鳥居の前方(南側)100m位先の電車通りと交わる場所に赤鳥居が立っていて、この通りが表参道通りになります。
石鳥居の先はこじんまりした感じでそんなに境内は広くは無かったですが、町中にあるのに木々に覆われて静かな空間になっていました。
<<御祭神>> 御祭神: 菅原道真公
相殿 : 応神天皇・神功皇后・住吉大神
後光明天皇の御代、承応年間(西暦一六五〇年頃)手取被分町の住人肥後藩士 平井勘右衛門正恒はかねてより天満宮を崇敬し、或る夜菅公が夢枕に立たれ平井家の井戸にきていることを告げられ、翌朝邸内の井底より尺余の天神尊像を得て、一字を創祀し鎮祭。宝永五年三月平井家 大火に罹り焼亡の砌、神祠も延焼。近くの鎮護山長安寺境内の梅の樹より夜々光明を放つ徴があった。寺僧之を怪しみ梅の樹の下に至れば天神様の尊像厳然として出現された。
僧かしこみて使いを出し、平井氏は年来の信徒等を率いて来たがその奇瑞を感じ、元の如く 邸内に復祭を議れしが火災を遁れて此の地に来られし故にこの長安寺境内に鎮祭されること となった。その後七十余年月を経て、安永七年七月二十八日再び大火が起こり寺塔悉く回禄となりしも神祠はこれを免れた。
明治の初め、神社区画改正の際、熊本五小区中の氏神社に定められ大正の御代に地方官より 市内幣饌料供進の神社に指定された。昭和二十年七月一日の熊本大空襲では戦災にあうことなく、厳として残り奇しき由緒多く学業成就、厄除開運、鎮火の神として城東校区の氏子を始め 多くの崇敬者に崇敬されている。
昭和初期までは毎年一月二十五日の初天神の祭典には菅公出現の井より若水がお供えされていた。
境内の案内板より
参道の右側に授与所、左側に社務所がありました。授与所前にも案内が出てますが、授与所には誰も居なかったので社務所をお訪ねしました。
Φ ポケストップがあります・・・・ 手取天満宮鳥居
Å ポケモン・ジムがあります・・・手取天満宮