熊本県熊本市東区健軍本町13−1に建っている「健軍神社(けんぐんじんじゃ)」です。熊本市電(路面電車)・動植物園入口駅から徒歩約8分。八丁馬場駅から17分位です(googleマップ経路情報より)
2日目の午前中に本妙寺のエリア(西区)を参拝して回り、午後からは、熊本市電・本妙寺入口駅からは路面電車で八丁馬場駅まで約38分、動植物園入口駅まで約43分、東区エリアへ移動しました。(熊本市電のホームページより)
随神門や拝殿や本殿等までは、動植物圓入口駅からの方が近いですが、八丁馬場駅の前に鳥居があり、そこから1.2km程ある長い参道が続いています。
欽明天皇(二十九代) 十九年勧請の由来は、阿蘇神社神事祭祀執行の折々、国司(藤原法昌) 阿蘇神社へ供え物等運送するに夏は共水干魃、冬は雪霜早く、降りて五穀不熟を憐れみ、或る年冬十二月十三日国司阿蘇宮参詣の時、此の原にて俄かの大雪道路を塞ぎて違退に迫り椎の樹下に野陣を張り遥拝して国司心底に阿蘇大神を勧請した老弱者阿蘇参詣の労を救えればと念願なるに五更(現在の四時頃)の頃に到り三歳ぐらいの童子忽然として石上に現れ国司に向かい「汝阿蘇大神を尊信し二心なく厳寒積雪を厭はす此に来たりあまるに衆人遠路の労を憐み大神を此の地に勧請せんと欲ふ神明何そ感応せまらんや宜くこの所に勧請すべし、然るに阿蘇宮は皇城鎮護の為、東に向かい当社は夷賊新羅鎮退の為、西に向かい健軍と号すべし汝に託す吾則阿蘇大神也」と宜り終えて去り給ふ国司驚き感じ此由、見聞に依って、直ちに社宇を造建し阿蘇大神の荒霊を鎮祭して健軍社と号す。
随神門前の案内板より
字が小さく木目や継ぎ目、古い言い回し等々で、読み取るのが難しいです。言い回しも難しく句点も無く、切れ目が良くわかってません(間違いがあったら、ごめんなさい)
拝殿の向かい側、参道の右側に社務所があります。書くのは宮司さんのようで、御祈祷中とかの場合は少し待つ事になります。
熊本市電(路面電車)の八丁馬場駅の近くに大きな鳥居(一の鳥居)が立っていて、ここから健軍神社の1.2kmもの参道が始まります。 (参道ですが中央部は車道で交通量も多いです。両サイドには広めの歩道があります)
参道を500m位進んだ辺りで、神社と関係あるか?不明ですが、参道と国道57号線(熊本バイパス)との大きな交差点に加藤清正公の騎乗の銅像が立っていました。
神社の入口には大きくて綺麗で立派な随神門が立っていました。随神門の前に二の鳥居が立っていますが、木製で随神門と同色な上、高さが普通の鳥居の3分の1位なので、遠目には気が付かないかもしれません。(公式な説明はありませんでしたが、ネット情報では、随神門が良く見えるように低くしてあるそうです)
随神門から更に100m弱歩いて拝殿に着きます。その途中の右側に社務所があり、御朱印を頂く事が出来ました。
広い境内の真ん中辺りに「子寶いちょう」と言う大きな銀杏の木が立っていました。名前だけ表したの石柱がありましたが、由来や御利益等の説明はありませんでした。名前や大木の回りから無数に幹が伸びて来て絡み付いてる様子などから子宝、子沢山的な御利益なんでしょうね。
拝殿の左側に境内社が並んで立っていました。雨宮神社だけちょっとだけ(大木1本分)離れてましたが、残りの神社は長屋みたいに並んでいました。
雨宮神社は、川の中に、雨を感じると浮き、晴れだと水に沈む石があり、この霊石をお祀りしたら水不足が無くなったといういう話が伝わっているそうです。雨宮神社以外は、案内板とかはありませんでした。
Φ ポケストップがあります・・・・ 多数あり
Å ポケモン・ジムがあります・・・健軍神社・楼門、雨宮神社