熊本県熊本市中央区桜町1−18に建っている「山崎菅原神社(やまさきすがわらじんじゃ)」です。熊本市電(路面電車)花畑駅から徒歩約6分。熊本城稲荷神社からだと8分位です(googleマップ経路情報より)
熊本城稲荷神社からだとお堀沿いを時計回りに行きます。ナビではお堀側に案内されましたが、お堀側からは入れませんでした。加藤清正公像が見えた辺りから、県道28号線側から行って下さい。
境内はそんなに広くは無く、ビルの間に挟まれて場所にあります。入口には鳥居(まだ再建されていないようです)や楼門は無く、駐車場の辺りから参道が続きます。
駐車場の右側に朱塗りのお社(三城稲荷神社)が建っていました。その先に、狛犬、授与所の建物と続き正面に社殿が建っていました。
山崎菅原神社が創建された年については諸説ありますが、一説には延久二年(一〇七〇)三月のある夜、菊池肥後守則隆公の霊夢に菅原道真公が現れ、託宣によって筑前國太宰府安楽寺天満宮(現在の太宰府天満宮)より肥後國詫磨郡白川のほとり南領森本に勧請されたとあります。
菅原山天満宮と号された当社は社殿を建立され、崇敬篤く奉斎されました。やがて山崎村近辺の田畑を寄進され、その地に遷座されました。江戸時代の地図には現在の鎮座地よりやや西(現在の桜橋南岸附近)に鎮座されていたことが記されています。また、地図には、天神丁や山崎天神丁といった町名も記されています。
当社は肥後熊本藩の初代藩主細川忠利公の尊崇も篤く、社頭の額並びに神前の松が寄進され、外塀も御修復されました。安永八年(一七七九)には六代藩主細川重賢公により再興されました。また、幕末の志士に大きな影響を与えた尊皇思想家の高山彦九郎が、熊本を訪れた際に当社を参拝したと伝えられています。
当社は明治に入り社号を菅原神社と称するようになりました。明治十年(一八七七)の西南戦争に際し、社殿は悉く焼失してしまいました。その後、熊本鎮台開設の際に境内地を収用され、明治十二年(一八七九)に山崎新道に遷座されました。この頃より氏子崇敬者から山崎菅原神社又は山崎天神と称されるようになりま した。更に明治二十五年(一八九二)には、山崎町新市街に、大正四年(一九一五)には現在の鎮座地である天神町(現在の桜町の一部)に遷座されました。
現在の御社殿は明治四十三年(一九一〇)に造営され、昭和十六年(一九四一)に拝殿が増築されました。昭和二十年(一九四五)の熊本大空襲でも奇跡的に焼失を免れ、平成二十八年(二〇一六) の熊本地震にも耐え、現在にその姿を残しています。
山崎菅原神社パンフレットより
参道の左側、拝殿の左前に授与所・社務所があります。
Φ ポケストップがあります・・・・
Å ポケモン・ジムがあります・・・山崎菅原神社