広島県三次市十日市三次町にある「結城山 吉祥院(きちしょういん)」です。真言宗のお寺です。JR三次駅から徒歩約31分、鳳源寺からなら2分位です。(googleマップ経路情報より)
鳳源寺と吉祥院はすぐ隣なので、順番はどちらからでも
国道375号線沿いに「吉祥院」と彫られた門柱と山門だけが独立したように建っていました。山門の横は塀などなくて大きく開いているので、道路側から山の斜面に向かって広がる境内の様子が、山門の外からも奥の方が良く見えます。こちらのお寺も石垣の上に建っていました。
坂道と石段を登って行くと朱色(?)の屋根をした本堂前まで来ます。古い歴史のあるお寺にしては、本堂の正面が木枠のガラス戸で覆われていて造りが、簡易的な感じがしました。後で説明板にあった寺歴を読むと、本堂の建て替えで仮本堂に移っていた時に第二次世界大戦に突入した為に、未だに仮本堂のままのようです。
本堂の左側に護摩堂や大黒天堂、観音像や仏像を拝した庭園があり、山の斜面に向かって四国八十八ヶ所の砂が埋め込まれた石階段(お砂踏み霊場)を登って行くと、京都の清水寺の舞台を赤くしたような形をした大師堂がありました。大師堂まで登ると結構しんどいです(^_^;) その分、かなりの高台にあるので、大師堂からの眺めは良いです。(落下防止の為か? 舞台にはロープが張られて先の方には行けないようになっていました)
行基 : 803年(延歴22年)
開基 : 834年(承和元年)
寺暦 : 今より1200年前、弘法大師空海の誓願と、当時、平安京造営に寄与貢献した大氏・秦氏の私財を投じて、31年の歳月をかけ、荒寥たる三次の地に約2万8千坪の境内に、七堂伽藍を配し、本尊千手観音を拝し、東宮に弁財天堂、以下番神堂、伽峨羅神社などを附配していましたが、3度の戦禍で焼失。再建を繰り返し、4度目の本堂は昭和14年建て替えの為、仮本堂に移されたところで、第二世界大戦に入り、戦後、財閥解体の命により、再建叶わず、本日に於いても、仮本堂の状態であります。江戸時代からは、浅野家の祈祷寺院として、寺禄を得て浅野家の武運長久を祈念する寺として栄え、今日に於いても、内陣の仏具は当時、浅野家より寄進されたものが使われております。
また、享保7年7月には、3回目の再建を祈する三次町内の有志の方々の御尽力もあり、本堂あとに天皇家より十六菊花紋を拝受した宝篋印塔を建立しております。
境内には、浅野家の菩提寺として、鳳源寺(臨済宗)そして寿正院の菩提寺として、妙永寺(日蓮宗)を修得し、昭和20年まで三宗(三寺)一系という形態を取る稀なる寺院であります。
●境内には、斜面に作られた階段に、四国八十八ヶ所の砂が埋め込まれています。(通称「お砂踏み霊場」と呼ばれ一度登れば八十八ヶ所を巡礼したと同じ御利益があると言われております。
●当山には、次のようなものが、寺宝として所蔵されています
◎空海が書いた書物
◎菅原道真の直筆の人物画
◎稲生物怪録(平田篤胤)の本
山門横の説明板より
本堂の右側に庫裏があり、インターフォンを押しました。
玄関の扉が開くと、おニャンコ様が飛び出して来た後に、奥様が出て来て下さいました。まずはおニャンコ様が家の中に連行されて行き、その後、奥様が御朱印を直書きして下さいました。余程、外に出たいのか、御朱印を待つ間、おニャンコ様は、玄関扉の横の窓にへばりつく様に外を見てました(^_^)
御朱印のページへ
Φ ポケストップがあります・・・・ 吉祥院、大師堂
Å ポケモン・ジムがあります・・・
鳳源寺 ⇐ (前) :: (次) ⇒ 三次もののけミュージアム
吉祥院と鳳源寺はすぐ隣で桜で有名な尾関山公園の直ぐ近くなので、季節的な条件もありますが、時間があれば、寄って見てもいいと思います。
三次もののけミュージアムは、御朱印とは関係ないですが、ミュージアム前が広島行の高速バスの始発バス停になっています。