散歩道: 恵毘須神社、おんばんさん  (広島県広島市安佐南区高取南)  長楽寺駅から④

恵毘須神社
恵毘須神社

 広島県広島市安佐南区高取南にある「恵毘須神社、おんばんさん」です。飛倉毘沙門天から行くと5分も掛かりません。方向的には社殿の裏側から入ることになりました。しかも、社殿の裏すぐの所で住宅を建造中でした。(窮屈そう(^^;) )
 高い側から行ったので最初は気が付きませんでしたが、帰りに参道を通ると小高い丘の上にある事に気が付きました。
 拝殿、本殿の真後ろに太陽があって、見事な逆光状態になってしまいました。(天気が良すぎると、逆光になったり、影が濃くなったりと良いところもあれば悪いところも・・・)

おんばんさん(武士供養の祠)

おんばんさん(武士供養の祠)
おんばんさん(武士供養の祠)

 天文10年(1541)に銀山城が毛利軍に攻め落とされ武田氏の人はこの恵毘須神社の近くに逃げて来ました。隠れ里に隠れ武士が護衛していたが毛利軍に見つかり、武士は全員殺されたそうです。
 隠れ里の入口にあった巌石で武士のお墓を作って供養したとの事です。護衛してた武士を「番人」と呼んでいたことから「おんばんさん」と呼ばれるようになったとの事です。
    (境内の案内板より要約)

社殿

社殿
社殿

 明治12年(1879)の安地区神社記録によりますと当所、長楽寺岩隈の新宮神社の相殿として建立され、伴安恵美須と呼ばれていましたが、明治4年(1871)に合併されたとあります。
 また、安古市町誌によりますと、合併後間もなく古代山陽道の要衝であった長楽寺門前町に分離再建され、門前町の恵比須神社として信仰を集めたとされています。
 社殿には「恵毘須」、鳥居には「恵比須」、神社の棟札には「恵美須」の文字が使われています。
     (境内の案内板より)

石鳥居

 石鳥居
石鳥居

 此処も、見事な逆光になっていた為、拝殿方向から撮っています。
 社殿から石鳥居、石鳥居から入口の石燈籠まで、意外と距離がありました。

「敬神」記念碑

「敬神」記念碑
「敬神」記念碑

 昭和61年(1986)に社殿の大改修が行われた際に、古筆学の第一人者・小松茂美博士が揮豪されたものだそうです。

Φ ポケストップがあります・・・・
Å ポケモン・ジムがあります・・・恵毘須神社

  

/* クリッカブル用コード */