
山口県下関市南部町に建っている「浄瑠璃山 長門国分寺(ながとこくぶんじ)」です。JR下関駅から徒歩約30分。永福寺からだと12分位です(googleマップ経路情報より) 真言宗のお寺です。
googleマップナビだと、入口を少し通り過ぎた場所に案内されます。目的地の少し手前の狭いビルとビルの間の坂を登って行くと社号標の石柱がたっています。
門をくぐると、正面には、地蔵堂らしき建物が幾つか立っていて、境内は右側に曲がって、右側が本堂、左側には大師堂がたっていました。
まずは、本堂前で参拝した後、社務所を探して本堂の左側奥の方に行くと、インターフォンが見えたので行って押してみました。御朱印をお願いすると、「書き手が出掛けてて、呼んだので、大師堂で待っていてください」との事でした。大師堂は自由に入って良いようだったので、中で拝んだ後、暫く待ってると予想外に若い女性の方が来て御朱印を書いて下さいました。納経料を納め、お礼を言って出ると、見送って下さっていたので、そのままお寺から出てしまったので、境内の写真は少なめでした(^_^;)
順番として、最初に、まず本堂や拝殿で参拝するのですが、その後、境内を散策してから御朱印を頂くか?、御朱印を頂いてから境内を散策するか? は悩むところです(^_^;) でもまぁ、境内の写真とか撮る前に、お見送りしてくれそうになった場合は「少し境内を見て回ってきます」とか言えばいいのかな(^_^)
大師堂の左側に「油掛大黒尊天」との扁額を掲げたお堂がありました。中には黒い大黒様の像があり、油を掛けながら祈願すると願いが叶うというものでした。油の池の中に大黒様が立ち、その周りにはごま油の小瓶が沢山供えられていました。手前には小さな柄杓みたいなものがあり、これで油をすくって大黒様に掛けるようになっていました。大黒様は黒でしたが、所々、金色に見えたので、元は金色で油を掛けているうちに黒くなったのかととも思いましたが、どうも、左右に金色の折り鶴が飾られていたので、折り鶴の金色が反射していたようです。
境内に案内板等は見つからなかったのですが、移転前の長門国分寺跡に案内がありました。説明の中の「本市南部町の大隆寺跡に移転した」のが、現在地の長門国分寺の事です。
聖武天皇が天平十三年(七四一)国家平安を祈り諸国に建立した国分寺の一つ。当地から北にかけた一帯がその境内地跡。地形上他国のものより寺域が小さく方一町程度と推定されている。
中世は大内・毛利両氏、近世は長府毛利氏の庇護をうけていたが、維新後次第に寺勢が衰退、明治二十三年本市南部町の大隆寺跡に移転した。国分寺跡からは、創建時の軒丸瓦や土器などが出土。長府博物館や教育委員会で保存している。また寺宝の「不動明王立像」「十二天曼荼羅図」は国分寺に現存しともに重要文化財に指定されている
長門国分寺跡の案内板より
最初、何処に行けばいいか分かり難かったのですが、本堂の左側奥の方の建物にインターフォンが付いてたので行って押してみました。庫裏・社務所だったようです。書き手の方が居ないので、わざわざ電話で呼んで下さり、無事に御朱印を頂けました。








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