本妙寺(熊本県熊本市花園4-13-1)

 熊本県熊本市花園4-13-1に建っている「発星山 本妙寺(ほんみょうじ)」です。 熊本市電(路面電車)本妙寺入口駅から徒歩約15分。JR上熊本駅から21分位です(googleマップ経路情報より)
 本妙寺は、仁王門から続く参道の両側に本院や12の塔頭(大きな寺院の敷地内にある独立寺院)が並ぶエリア、加藤清正公が祀られている浄池廟のエリア、浄池廟までの長い石段のエリア(胸突雁木)、浄池廟から更に奥に、300段登った清正公の銅像があるエリアと、非常に広いエリアです。雲晴院の参道をはさんだ向かいに本院が立っていました。日蓮宗のお寺です。
 12の塔頭となっていましたが、参拝して回って、廃業されている所もあって、現在は少し減っているようです。
  


 浄池廟の拝殿の右側に社務所がありました。



仁王門と参道

 大きなコンクリート製の仁王門でした。周りに大きな建物が無いので、威風堂々と立ってました。コンクリート製なので、比較的新しいのか? 地震後に新しくしたのか?等々とも思いましたが、1920年(大正9年)最初に造られた時からコンクリート製だったそうです。仁王門ですが、狛犬のならぬライオンがいました。


本妙寺 本院

 案内板とかはありませんでした。山門の中の建物は公開されていませんでしたが、綺麗な庭園の中に遊歩道が伸びていました。名前からして、お寺の業務を管理している場所かな?


本妙寺 大本堂

『この建造物は、本妙寺一山の大本堂であり西南の役で焼失し、明治17年起工・同27年落慶した。
 本妙寺は、日蓮宗旧六条門流九州総本寺であり、天正11年加藤清正公が父君清忠公菩提のため大阪に建立されたのに始まる。天正16年、清正公が肥後の太守になられたのに伴い熊本城内に移された。慶長16年、清正公が薨去され、ご遺言によってこの中尾山中に御廟所が造営された。慶長19年いまだ城内にあった本妙寺が焼亡したことを機会にこの御廟所の地に移転再建されることになり、元和2年、清正公第七回忌に際し落慶遷仏会が行われた。
 この間、慶長10年、後陽成天皇勅願の綸旨を賜り、翌11年永代紫衣を勅許された。
 大本堂の門に『勅願道場』と東郷元帥書の掲額があるのは、これに由来する。』 
                               大本堂山門前の案内板より  
 大本堂の中まで入る事が出来ます。


胸突雁木(むなつきがんぎ)

 塔頭や本院があるエリアと浄池廟を繋ぐ長い石段で176段あるそうです(こっちは数えてません)。左右に石段があり、真ん中には、信者が奉納した石燈籠が沢山並んでいるエリアがありました。入口辺りには、狛犬じゃ無さそうで、ネコ科の動物っぽい石像が立っていました(ライオンにしてはスマート過ぎるかな?)。


浄池廟

 清正公のお墓になる所で、神仏習合や神仏分離で色々あって、現在は本妙寺の境内にある神社になる所です。  
    詳しくは  本妙寺の公式ホームページへ

 拝殿の右側の建物に社務所があり、本妙寺の御首題を頂く事ができます。
 今回参拝して来た熊本のお寺では、鐘楼門とか以外に鐘楼をあまり見て来なかったのですが、本妙寺もお寺の部分じゃ無くて神社の中に鐘楼がありました。
 境内にあるお堂で、扁額はあるのですが、かなり崩れた字で読めませんでしたが、「栗毛堂」と言うみたいです。中には、赤に馬が祀ってありました。清正公の愛馬(元々は栗毛だったようです)を祀っているそうです。


本妙寺公園

 浄池廟の裏手から。300段の石段を登った所に、大きな加藤清正公像が立っていました。石段はそんなに急ではありませんでした。25段づつで間に踊り場があって、少し休める感じになっているので、300段ある割には、そんなにしんどい感じではなかったです。
 階段を登り切ると目の前に槍を持った大きな加藤清正公の胴像が見えて来ます。台座も大きいので一望しきれない位です。8.2mあるそうですが、上熊本駅から信者が綱を引いてここまで上げてきたと言うから、驚きです。
 近くに熊本市を一望できる展望台がありました。今回は、天気が悪くて残念でした。


Φ ポケストップがあります・・・・ 多数あり
Å ポケモン・ジムがあります・・・仁王門、六喜廟、清正公大尊儀

  

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