山口県山口市八幡馬場813 に建っている「西高野山 神福寺(じんぷくじ)」です。JR上山口駅から徒歩約11分。JR山口駅からだと徒歩約29分。瑠璃光寺からだと21分位(googleマップ経路情報より) 真言宗のお寺です。
瑠璃光寺からだと南東方向、山口バイパス(国道9号線)を渡って、1つ南側の道を道なりにですが、何ヵ所か曲がり角に迷いそうになりますが、ナビ通りに行けば大丈夫でした。最後の曲がり角は、神福寺の名前が彫られた石柱が立ってますが、周囲の風景に溶け込んでいるので見逃しがちです。
通りからは少し奥まった所に建っているので、最初の石柱から100m位、長くて細い道が続きます。観音堂の横辺りに突当って右側に曲がると本堂前に続く坂道が見えてきます。
正面に本堂、左側に納骨堂?、観音堂、右側奥が庫裏のようでした。
興隆寺の護摩堂だった建物が移築され改修されて、現在の観音堂になっているようです。周防国観音霊場第29番札所で、安置されている「十一面観世音菩薩」立像は、もと宮野の泊瀬観音堂の本尊だったが、荒廃した為、神福寺に移されたようです。国の重要文化財に指定されているそうです。秘仏ですが、毎月21日、お大師様の縁日の午後1時より、お厨子が開かれるそうです。
本堂から見ると左側の前方、観音堂の前に鐘楼が建っていましたが、何故か鐘がありませんでした。
また、境内には大小多数のお地蔵様がいらっしゃいました。
神福寺は、建久年間(1190~98)の創建といわれております。 開山上人に舜誉宥玄僧正を招き、神宮寺と 号しました。後に大内弘家公により再建され、日輪山神光寺に 改められました。大内氏は、盛見公や政弘公をはじめとして、愛染 明王の信仰に篤く、毎年六月朔日に近隣の密教寺院の僧を集め、愛染講 を修めていたと、寛文元年の寺伝に記されています。
建久年間とは:源 頼朝が征夷大将軍になり鎌倉幕府を開いたのが、建久3年(1192)です。その5年前、文治3年(1187)に東大寺大仏殿の再興のために重源上人が周防別所として、阿弥陀寺(防府市牟礼)を建立されました。 その1年前、重源上人の依頼を受けて、奥州藤原氏に勧進を行ったのが西行法師です。彼はその後、河内国弘川寺で、建久元年に入寂しました。
この神光寺の時代が、明治初年まで続き、長久山平蓮寺と合併して、神蓮寺 。
明治41年に先代の宮城真雄僧正の再建により岩国の妙福寺と合併して 神福寺になりました。昭和4年に山号も日輪山から西高野山へ変わりました。
神福寺 公式ホームページより
本堂の周辺に建物が幾つかあったのですが、本堂の右側の一番奥の建物が庫裏のようでした。お訪ねした所、御住職は本堂におられるとの事で案内して頂き、本堂で御朱印を頂きました。
神福寺では、此処からは、南東方向に徒歩で34分位、椹野川を渡って山の中腹辺りにある清水寺(せいすいじ)の御朱印も頂けます。当初の予定だと、次の日に清水寺に参拝の予定だったのですが、「せんすいじへ参拝は?」と言われて、とっさに「清水寺」と結びつかず、頂くタイミングを逃してしまいました(参拝しないと頂けない。意外と厳しい(^^:))
今回の山口市の御朱印巡りは、ある1社・寺で他の神社仏閣の御朱印を頂ける所が多く、神福寺参拝時には「清水寺(せんすいじ)」のことを忘れてました。(結局、今回は清水寺には参拝出来ませんでした。)
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