広島県廿日市市宮島町にある「 亀居山放光院大願寺(ききょざんほうこういんだいがんじ )」です。厳島神社の出口辺りにあります。境内を囲む塀などが無く、広場の真ん中に山門が建っていて「何?」って感じがします。その後ろや横にお堂があるので、何処までが敷地なのか分かり難かったです。(後で調べたところ、 東は塔の岡(千畳閣・五重の塔のある辺り)から、西は多宝塔の辺りまでが境内地だそうです。かなり広いですね。)
流石に全国有数の観光地の宮島ですので、人が入らないように写真を撮るのが大変でした。と言うよりも、不可能(^^;)
真言宗に属し、室町時代末期に厳島神社の修理造営権を握り、道本・尊海・円海と相次いで傑出した住職が出て、厳島神社諸建築の構造や修復に当たった。また、鍛冶・番匠(大工)・檜皮師などの職人団を率い、筑前筥崎八幡宮・豊前宇佐八幡宮の修理造営にも当たった。当時厳島は内海の要港で、ここに集まる京、堺などの貿易商人らとの接触も深い。尊海が大蔵経を求めて朝鮮に渡った時の見聞を、記した紙本墨書尊海渡海日記(国指定重要文化財)、銅製朝鮮鐘(重要美術品)、木造薬師如来坐像・木造釈迦如来坐像・木造阿難尊者立像・木造迦葉尊者立像(以上国指定重要文化財)、その他多数の中世古文書を所蔵する。
境内の案内板より
山門
厳島神社の外側の通りを歩いていると厳島神社の出口を過ぎた辺りの広い場所に急に現れます。
東は塔の岡(千畳閣・五重の塔のある辺り)から、西は多宝塔の辺りまでが境内地という事だそうです。(かなり広い境内です)
左右の金剛力士像も扁額も網に覆われていてよく見えなかったですが、門の両側に「大願寺」「厳島辨財天本堂」の表札?が掲げられていました。
護摩堂
総身一丈六尺(4m80㎝)重量7t 総白壇
明治の初期に焼失した護摩堂は、平成18年4月に再建、落慶並びに開眼供養されました。総白壇の不動明王像としては日本最大の仏様です。
不動明王のお姿は、右手に、智剣(ちけん)と呼ばれる我々衆生の悩みを断ち切る智慧の剣を持ち、左手には、絹索(けんじゃく)と呼ばれる正しい道から外れた衆生を引き戻して下さる繩を持ち、背中には、我々衆生の煩悩を焼き尽くす火炎を背負っています。
護摩堂横の案内板より
護摩堂内部は撮影禁止でした。
本堂
「 亀居山放光院大願寺(ききょざんほうこういんだいがんじ )」の本堂です。開基は不明で、鎌倉時代の建仁年間(1201~1203)に僧了海(りょうかい)により再興されたそうです。
大願寺の九本松
『この松は口頭伝承によると、伊藤博文候が明治時代頻繁に来島され、その際に植えたと伝えられています。』
境内の説明板より
Φ ポケストップがあります・・・・護摩堂、大願寺
Å ポケモン・ジムがあります・・・